頑固おやじのBAR
これは私がまだ新人サラリーマンだった頃。
漫画で見たBARに憧れて、職場近くのBARに入ってみたときの話です。
繁華街の裏路地、暗い階段を上ると、漫画で見たような重い扉がそこにはありました。
10分ほど扉の前をうろついた後、勇気を出して入ってみました。
薄暗い店内、目の前に広がる一枚板のカウンター、バックヤードに輝く無数のお酒。
見るからに頑固そうなおやじがグラスを磨いていました。
私は
「あ、あの、カウンターに座っても良いですか」
と震えながら問いかけ
おやじはニヤリとしながら
「もちろん。ここはBARでございますから」
と答えました。
私は漫画で見た知識のまま、初めてのオーダーは古いラムを注文しました。
初めてのラムは想像以上に強烈で、すぐに酔っぱらっていきました。
消えゆく記憶の中、エリク・クラプトンの「ティアーズ・イン・ヘブン」が流れていた
のを覚えています。
初めての来店後、私は週に1回程度でおやじのBARに通うようになり、友人や先輩を連れていくこともありました。
気を付けなければならなかったのは、軟弱なカクテル(おやじ基準)を頼むと、
「そんな、巷の酒はうちにはないねえ。」
と言われてしまうことで、何度か先輩の面子を潰してしまったこともありました。
また、カッコつけてマティーニを注文すると、
「それは、巷のマティーニかい?それともうちのマティーニかい?」
と尋ねられます。
おやじのマティーニは超ドライ(ほぼ冷やしたジン)で飲むと高確率でカウンターに倒れこみます。私も懲りずに何度も潰れました。
そんなおやじも女性には非常に優しく、連れの女性が
「何か、おすすめ作ってくれますか」
と問うと、
(内心、なんてこと言うんだ!おやじに怒られる!なんて震えていましたが)
「お待たせ。このカクテル名前聞いてよ。これかい?クリスマスキャロルっていうオリジナルさ、お嬢さんにぴったりだな。」
と目じりを下げて得意げにカクテルを披露していました。
私が、おやじのカクテルの中で最も好きだったのが、「おやじのブラッディ―・メアリー」。
おやじのは仕上げに特製の唐辛子オイルをフロートするのですが、これがびりびりと辛い。しかし、その辛みが飲み疲れた脳を刺激し、その後に入ってくるトマトジュースが胃を癒してくれます。
この「おやじのブラッディ―・メアリー」を毎回流れてくる「ティアーズ・イン・ヘブ
ン」を聴きながら、ぐびぐび流し込むのが至福の時間でした。
私が会社を辞め、その街を離れてから二年後、おやじと同じ職業についた私はそのことをおやじに聞いてもらいたかったのですが、BARを訪ねるともうおやじのBARはなくなってしまっていました。
もう飲めなくなってしまった「おやじのブラッディ―・メアリー」を思い出しながら、
暇な夜は「ティアーズ・イン・ヘブン」を聞いて、あの頑固なおやじのニヤリとした顔を思い浮かべたりしています。
まさる